今度の土日の夏休み自由研究サポート企画に準備で忙しいので、PIC-Xマスタ・モジュールはお休み状態になっている。それでも少しずつ作っているのだが。。。
私の担当の音の実験は、主に音声の波形を見てみる実験だ。
思えば、もう30年近く前の大学4年生のときの卒論テーマが、音声認識、合成だった。古い建物の実験室で、Z80を使ったパーソナルコンピュータを自作するところから研究(といえるかどうかわからないが。。。)が始まったのだった。(当時はまともなパソコンがMZ80くらいしかなかった)その卒論の学生は4人一緒のチームとしてやっていた。フーリエ変換、FFTやLPC、PARCOR、ADPCMなどを勉強しながら、パソコンの筺体作りから始まったのだった。アルミパネル加工やLアングル切断などの工作を当時、スーパーハードと呼んでいた。
その後エブレンの上にラッピングピンのあるボードで、CPUボード、CRTインターフェース、SRAMメモリ(48Kbyte)、IOボート、AD/DA変換ボードなどを作成した。IOはトグルスイッチ、紙テープのリーダ、ライタとカセットインターフェースだった。そういえば紙テープライタのインターフェースを作ったとき(わたしではない)ドライブ用のダーリントントランジスタがぽんぽん飛んでしまったっけ。。。なぜかというと、ソレノイドに逆電圧阻止用のダイオードが入ってなかったのだった。
私の担当は、CRTインターフェースとカセットテープインターフェース。CRTインターフェースはキャラクタモードとビットマップモードが切り替えで、ビットマップモードは波形を表示するのに使っていた。こちらは大きなトラブルもなく、回路図完成後に3日徹夜で製作した。でも、カセットインターフェースは完成しなかった。規格はサッポロシティスタンダードだった。カンサスシティスタンダードよりもビットレートが速かったためだ。なぜ完成しなかったというと、シリアル通信用のICのクロックをX1倍のクロックを入れて、使ってしまったからだ。これでは、いったん受かってもどこかでクロックの同期が外れてしまう。非同期通信のモードではなく同期通信のモードを使ってしまった。当時は、そんなこともわからずに無駄な時間をすごしてしまった。OPアンプでウインドウ・コンパレータまで組んでがんばったのだが、基本的なところが間違っていたので、だめだった。なぜだめかわかったのは卒業後だった。今の方たちには、そのような無為な時間をすごしてもらいたくない。
”シリアルインターフェース(RS-232C)の説明”には、そのような思いも詰まっている。
結局、卒論は音声の解析はそこそこに、パソコンを作ってマルチタスクモニタを作りましたということで終わってしまった。
なぜ、こんなことを思い出したかというと、私の後の2年間通っていた大学は移転してしまって、校舎が取り壊しになってしまった。最近、その大学から定期的にアクセスがあるようなのだ。T工学科のM先生、お元気だろうか?そろそろ、定年退官なのだろうか?
ご存知ならば教えてください。後で新しい校舎に行ってみたいと思っている。
- 2007年07月27日 05:31 |
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@eleに投稿しようとして出来なかった回路図です。
23年くらい前に作ったシリアル切り替え器(プリンタ出力変換用パラレルポート付き)のCPUボードです。
これがCPUボードでして、そのほかにもう一枚I/Oボードがありました。
I/0ボードの方は8259カスケード、8255が1個、8251が4個ついていました。プリンタポートが2、シリアルポートが4ついていて、その間をボーレート変換、シリアルーパラレル変換しながら接続しました。
インタラプトハンドラを実装して、それぞれのポート間を接続していたと思います。(ソフトは私が作ったのではないのでうろ覚え)
今回は自分で設計したCPUボードだけの公開です。I/Oボードは違う人の設計ですので非公開とさせていただきます。
一応、CPUボードとI/Oボードを重ねて、ケースに入れて実際にシリアル切り替え器、シリアルーパラレル変換器として使っていました。(昔々)
これがその表面基板の図面です。改版が書いてありませんが、表の表示部(スイッチの横)には、LEDが付いていて、どこに何がつながっているかが表示されていました。パソコン(PC-9801)と68010プロセッサを搭載したUNIXのワークステーション(VME10)、電話のカプラ、ROMライタ、プリンタがつながっていました。

家ではAcrobat持っていないので、Acrobat Readerで右90度回転してご覧ください。
回路図はここにあります。
- 2007年04月19日 22:10 |
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今度はラッピングによるPCIバスボードを作った時のもの。大体10年位前にプロトタイプとして作ったものだと思う。QFPパッケージを変換基板に実装してPGA形状に変換してラッピングソケットをはめてラッピングしている。
ラッピングと入ってもPGAのソケット付近は5層くらいにラッピングワーヤーが重なっていてラッピングとはいえども再度配線することが出来ないほどにワイヤーが埋もれている。
使用FPGAはアルテラのFLEX10K20、PCIバス用のICはPLXのPCI9060、CPLDにアルテラのMAX7000シリーズ、IDTのFIFOのIC、プロセッサのIntel960iDX、モトローラのPLLIC(MC88PL117)、EDO DRAM用SIMMソケット、IBMのIEEE1394用ICが実装してある。
このときは本当に1本の間違いもなく完動したのが本当に奇跡だった。200MHzのIEEE1394だったがパラックで動いたことに感動したものだ。下の写真で左下のコネクタが付いている基板がIEEE1394の入力用回路だ。なるべく配線を短くするように出来る限り高密度実装してある。更にその基板の下がIBMのIEEE1394用PhyICだ。
もう1つ当時の院生がY号を作っていたが、そっちは動かなかった。一度どこかの配線が間違っているとデバックは無理、私もデバックしてみたが、結局、最後までどこが間違っているかわからなかった。
こういうものは若いうちしか出来ない。もう絶対に無理と断言できよう。

- 2006年09月29日 21:08 |
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だいたい15年程度前だと思うのだが、その頃にマイクロプロセッサを標準TTLで作るという実験をやっていた。そのころにサンプルで作った基板を載せてみる。方式は
マイクロプログラム方式でマイクロプログラムは
EPROM (2716)に書いてあった。RAMはダラスセミコンダクタ社(今はマキシム社)のバッテリバックアップRAMを使っている。電池が入っていて製造から10年データが消えずに書き込みできるSRAMだ。もうすでに期限が切れているのでただのSRAMだが。。。
50PINのヘッダが2つ付いている。このヘッダはPC-9801パソコンのCバスパラレル拡張ボードにつながっていてソフトウェアでマイクロプロセッサのメモリに書き込んだり、RUNしたりとコントロールできるようになっている。

- 2006年09月28日 21:50 |
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秋葉原はパソコンの秋葉原からメード喫茶やフィギュアなどの場所に変わっていっているそうだが、私にとって見ればその一昔前のジャンク屋が並んでいる秋葉原が懐かしい。
私が大学生の頃(27位前)はパソコンも黎明期でラジオ会館にBIT-INNがあって、その周辺にパソコンショップが少しあるくらいだった気がする。
大学生の頃はオーディオに凝っていて、アンプを作っていた。最初に作ったパワーアンプはハム音が出てトランスに銅テープを巻いたりしたが、なかなか消えなかった。終段のプッシュプルトランジスタのバイアス電流を決定する半固定抵抗を逆回しきってしまい、よくトランジスタを飛ばしたものだ。最初からバイアス電流最大で放置したので足につけた半田が溶けていた。
その頃は部品といえば秋葉原で、よく東大宮から買出しに行った。街角のジャンク屋を覗くのが楽しかった。どっから外してきたかわからないような巨大なコンデンサなどが並んでいるのを見るのが楽しかった。
大学4年の頃、卒論のためパソコンを作っていたが(その頃は自分で作るものだったのだ、Z80です)そっちのけで、オールFETパワーアンプを作っていた。鈴蘭堂の真空管用のシャーシを使って片チャンネルずつ作った。トランスはラジオ会館で見つけたビクターの名前の入ったバッタ品。AB級アンプにはちょっと電圧が高かったが安かったので妥協した。やはり組んでみると電圧が高すぎてアイドリング電流を流すと損失が大きく電流を減らした。コンデンサは街角のジャンク屋でいつかよだれをたらしながら見ていた巨大なコンデンサ。終段パワーFETは3パラだった。組み上げてみると10MHzで発信してしまったので、位相補正コンデンサを追加した。電源を入れると巨大なコンデンサに充電する突入電流で3Aのヒューズが飛んでしまうので、最初はAC100V側に抵抗をシリーズに入れてヒューズが飛ぶのを防止して10秒後に抵抗をリレーでショートするようにした。このアンプは今も現役で動いている。DCオフセットがどのくらいになっているかは計測していないが。。。その当時買ったスピーカーもウーハーのエッジがぼろぼろになっている。
秋葉エレクトリックパーツのお兄ちゃん(いまはおじちゃんだろうが)元気だろうか。友達が行くと親しそうに話していたが、私はシャイだったのでお話したくてもお話できなかった。いろいろわくわくするものがあったものだ。
- 2006年09月14日 21:01 |
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